I'm a Cat
『吾輩は猫である』は言わずと知れた明治の文豪、夏目漱石の傑作。主人公の猫の視点から浅はかな人間世界を描いたカリカチュアだ。
英語のタイトルは “I'm a cat." まあそのまんまなんだけど、これで言い得ているかなーというとちょっと微妙。猫のあの高慢さ、上から目線な感じは「吾輩」と自らを称するところに集約されていると思いませんか? それがI'm a cat. になるとペーソスよりもコミカルさが勝ってしまうような気もする。一度ぜひ全編を英語で読んで確かめてみたいものだ。
I'm a cat named 'Taikan'.
最近は猫のブログや動画も大流行で、巷にはかわいい猫ちゃんたちがたくさんアップされている。まさに 百花繚乱の“I'm a cat." ワールド。中には犬みたいにお手をする猫もいたりして、日本の猫も変わったなーと思う。猫は自由奔放、勝手気ままが本性なのだけれど、内(うち)猫として屋内に閉じ込められているとそうもいかず、愛玩動物としての行動を強いられているようにも見える。
私の実家では、昔からずっと猫を飼っていた。昔の農家には米蔵があって、ネズミを退治するのに猫はいて当たり前の存在だった。そんな猫たちは半野良。好きな時間に出かけて行って、好きな時間に家に帰ってくる。毎日が自由気ままな日々。縦横無尽に野生を謳歌していたなあ。
ある猫は、捕まえたネズミを夜中家族に見せびらかしに来たり、ある猫は押し入れの布団で5匹も6匹も子を産み落としたり。父の軽トラに乗って遠くに行ったきり、行方不明になってしまった猫もいた。諦めかけた一週間後、国道を渡って帰ってきて、「あらー、帰ってきたのぉ!」なんて、皆で大喜びした日もあった。猫と一緒の暮らしは飽きることなく楽しかった。
3代目ミーは、ある日、隣の養鶏場の庭にまかれていた農薬を食べて死んでしまった。自滅。桶に突っ込んでおぼれて死んでしまった『吾輩は猫である』の主人公と同じだ。自由気ままに生活を楽しんだ末の最後。悲しかったけど、感心した。母の口癖は「賢い猫は決して死ぬところを見せない」だった。私は私、好きなようにいたします、お先に。猫の矜持がそこにある。
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